おとうふの香り

ハウキャナイビーシュア

愛じゃなくても恋じゃなくても


今日から日曜まで、愛媛に行ってきます。帰省です。

父の十ホニャラ回忌にあたって、今回は家族のみで行いたいという母の希望によりそれが実現しました。
法事のあとは、これも母の希望で、生まれて初めて家族揃って温泉に一泊します。
実家なのだから昔の服とかがあるわけで、たいした荷物は必要ないものの、出発1時間前を切ってまだなんの用意もしていません。

法事と、そのあとの温泉宿泊に際し、緊張している、あるいは身構えているせいか、久しぶりにブログを書いてみています。
緊張するのは、私にとってこの人たちがまあやっぱり大切な人だからでもあり、一方で、今の生活を守りたいからでもあります。
守りたい、というのは、それがおびやかされる恐怖を感じているときに使う言葉です。
なんのためらいもなく、家族が家族だからというだけで、安心して愛し愛されるには、もう遅いのかまだ早いのかとか、そんなことを思いつつ、核心をかわしてすり抜けて、道後の湯に癒されてこようと思います。

ちなみに今日は、母の誕生日です。
あさっての日曜は全国的に、母の日です。
私は中学生の頃から、父の日には祖父に何かをあげるようになったのですが、そうなると祖母に何もあげないのはかわいそうに思われて、母の日には結局、母と祖母、それぞれに何かしらをあげていました。
今回、恵比寿のアトレで母と祖母へのプレゼントを急いで探して買って、小走りでJRの改札へ向かう中、そういえば祖父はもういないのに私は、「母の日」に祖母に、いまだに何かをあげるんだな、不思議な習慣だなと思いました。
「母の日」に何かするなんて偉い、とたまに言われるけど、私は今あの人たちにハレしか提供できないので、せめてそこはという気持ちであって、きれいな愛ゆえの思いやりじゃなく、つぐないに近いかもしれません。
まあ、きれいな愛じゃなくても、つぐないに近くても、いいです。
この世で後悔することなんて自分か相手が死んでしまう以外にないので、できること、本当はしたいこと、というのは自分のためにもやっておいた方がいいだろうと、私は思っています。

そろそろ支度をしないとさすがに間に合わない、と書いたところで支度を始めて、今、空港に着いたところです。
また少しずつ、たまに、ブログを書けたらいいなと思います。