おとうふの香り

ハウキャナイビーシュア

短歌たち20170823

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今だって左を向いて白湯を飲む 氷の上を流れてく日々

 

破れたレースの元かわいいパンツを今日 履いているけど絶対見せない

 

パイナップルヤシの木パキラモンステラ 私の代わりに駆けてゆく砂

 

永遠に手に入らない約束を 馬鹿げた真面目 いわゆる未来

 

走り去る 魔法は残像 オレンジの この夜もすぐ 今じゃなくなる

 

流される満員電車に抗わず 見知らぬ腕の中におさまり

 

今日くらい遺品で飾り立て祀る すべて隠して笑う赤星

 

 

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『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』

‪「何の話をしてたんだっけ?そうそう、何だかすべて忘れてしまうって話。コップの中のミント水が蒸発するようにじょじょに何にもなくなってしまう。残っているのはコップの底にへばりついた「かつてミント水だったもの」だけ。記憶ってそんなもんだよ。」‬

 

 

『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』/岡崎京子

 

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね

 

 

 

まっピンクの夕焼けのこと。

昔書いて、今でもたまに、どうしてか思い出す日記。を、メモを整理していてたまたま見つけたのでここにまた載せます。

このピンクの夕焼けのこと、私がおばあさんになって自分の生年月日を言えなくなっても、きっと話すんじゃないかと思う。

 

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高校三年生の放課後を思い出している。受験前、終わらないおしゃべりと、大体苦痛でこっそり面白い勉強のために、仲良しの友達同士でよく教室に残っていた。たまになぜか廊下を走ったり、追いかけたり、鏡を使って写真を撮ったり、していた。

 

ずっと一緒にいるのにどうして写真の中でも一緒にいようとしたんだろう。私たちがいつか失われるということは誰に教わったんだろう。私たち以外いないような小さい町で、誰に見せるでもなくピースして、よく写真を撮っていた。私たちは残らないことを知っていた。それはきっと本能とかじゃなくて、どこかで覚えたことだった気がする。

 

ふと、ノートに照る、前に座る子の肩に乗る、椅子の錆びた鉄の丸い角に光る、まっピンクの夕焼けに誰かが気づいた。あまりにロマンチックで、みんな笑った。私たちは若くて、若いことが、みんな、少し悲しかった。そのことはなぜかお互いにわかっていた。その瞬間だけは、気が遠くなるくらい見つめてた人の、眩しい後ろ姿も思い出さずに、ただその瞬間、そこにいたみんなのこと、今、のことだけを考えていた。

 

愛じゃなくても恋じゃなくても


今日から日曜まで、愛媛に行ってきます。帰省です。

父の十ホニャラ回忌にあたって、今回は家族のみで行いたいという母の希望によりそれが実現しました。
法事のあとは、これも母の希望で、生まれて初めて家族揃って温泉に一泊します。
実家なのだから昔の服とかがあるわけで、たいした荷物は必要ないものの、出発1時間前を切ってまだなんの用意もしていません。

法事と、そのあとの温泉宿泊に際し、緊張している、あるいは身構えているせいか、久しぶりにブログを書いてみています。
緊張するのは、私にとってこの人たちがまあやっぱり大切な人だからでもあり、一方で、今の生活を守りたいからでもあります。
守りたい、というのは、それがおびやかされる恐怖を感じているときに使う言葉です。
なんのためらいもなく、家族が家族だからというだけで、安心して愛し愛されるには、もう遅いのかまだ早いのかとか、そんなことを思いつつ、核心をかわしてすり抜けて、道後の湯に癒されてこようと思います。

ちなみに今日は、母の誕生日です。
あさっての日曜は全国的に、母の日です。
私は中学生の頃から、父の日には祖父に何かをあげるようになったのですが、そうなると祖母に何もあげないのはかわいそうに思われて、母の日には結局、母と祖母、それぞれに何かしらをあげていました。
今回、恵比寿のアトレで母と祖母へのプレゼントを急いで探して買って、小走りでJRの改札へ向かう中、そういえば祖父はもういないのに私は、「母の日」に祖母に、いまだに何かをあげるんだな、不思議な習慣だなと思いました。
「母の日」に何かするなんて偉い、とたまに言われるけど、私は今あの人たちにハレしか提供できないので、せめてそこはという気持ちであって、きれいな愛ゆえの思いやりじゃなく、つぐないに近いかもしれません。
まあ、きれいな愛じゃなくても、つぐないに近くても、いいです。
この世で後悔することなんて自分か相手が死んでしまう以外にないので、できること、本当はしたいこと、というのは自分のためにもやっておいた方がいいだろうと、私は思っています。

そろそろ支度をしないとさすがに間に合わない、と書いたところで支度を始めて、今、空港に着いたところです。
また少しずつ、たまに、ブログを書けたらいいなと思います。